色眼鏡レポート

虹彩がこうなんだから仕方ないとこある

創作強迫観念

 何も生み出さず受け取るだけ、に苦しむのは、なんと愚かなことか。

 

 小説を綴る機能が備わったタイプの人間なのだが、生来の気分屋気質と、凝り固まったこだわりによって、油を指しても動かないものになっている。そう、私は創作物を、生み出すことができるものなのだ。

 趣味はファンをしている作品を読むことと、それの二次創作作品を読むことだ。これは10代半ばから続くもので、個人サイト全盛期から少し過ぎ、移り行き、衰えていくさなかを、指を動かしURLを飛び回り、ゆるりと堪能していたものだった。

 転機は訪れる。何を学ぶかによって進路がハッキリ形を成す、大学受験だ。高校時代を部活動に費やし、後輩達に運営を任せて引退するその少し前、私はなぜか、図書室に入り浸っていた。図書委員としての仕事をしていた、というのもあるが。その実読書に夢中だった。選んだのは、小説から児童文学、初心者向けの文学など、物語を楽しむことの出来るものばかりだった。実は中学時代にも同じように、進路を決める手前ほどの時期に図書室浸りとなっていた。その時はダレン・シャンシリーズに没頭していて、主人公の師匠役が亡くなったことが判明したシーンでは、本を一度置き、一人で涙を流した。

 さて、物語を創ることに魅力を感じ、学校勤務の司書と仲良くなり、図書室の主と化していた私は、芸術系特化の四年制大学へ進むことを決めた。夏真っ盛りの頃、AO入試を活用し、春から芸術大学生へと変身した。しかしここから三年後まで、私は実に芸術大学生らしくない生活を送る。

 部活動にまたもやすべてを費やし、司書課程も早々に諦めた私は、変わらず人の創作物を消費し、満足するばかりだった。三年生から所属したゼミは、創作することや研究することに対し、選択の自由があった。ゼミに入る頃は、ファンタジー創作物を独自の設定をしっかり練って作る、などと豪語していたが、実際それに沿った作品は、一つたりとも生まなかった。

 少しづつ在学期を擦り減らしながら、けれども道が見えないある時。私はようやく、自身が生み出した作品によって、創作物出産の快感を得ることとなる。それが後の卒業制作品で、唯一完結させることのできた、「小説」だった。

 快感を得た私はもはや、悦に浸っていた。最高傑作なのだと。同時に、焦っていた。

 

完全オリジナル作品、一人称視点。

 

 物語を生むために、シナリオとキャラクターを創り出す。それが、どうしても二次創作作品に落とし込めない。落とし込もうとした時、自身の解釈と一致せず、設定すら溜まらず。そんな職人気質を幼稚にしたようなものを背負い、生活するための金を労働でつくる日々を送り続け、そして世に絶望した。

 

 結局のところ、自分に折り合いを付けられないまま五年ほどが経ち、今なお簡単なSSすら、生み出すことができないままでいる。

 今日も今日とて私は、人が磨き上げた創作物を堪能する。読み終えた私には、ただただ無情なほどの、空焚きの子宮のみが残る。