色眼鏡レポート

虹彩がこうなんだから仕方ないとこある

一分経てば気にならないことでも

 想像した結果怖がってちゃ、どうしようもない。

 

 二面性。作品題材にしやすく、キャラクターに言動への信ぴょう性や整合性といった、深みを持たせるのには、大変使い勝手のいい特性だ。

 

 さてこの二面性、性格や人格などというなんだか仰々しいものでなく、大概の人間がある場面で発露させるもの、それこそが私の怖がるものなのである。

セルフや無人化も進んではいるが、『買い物をしている時の店員への態度』こそ、もっともお手軽に覗き見ることが出来る二面性なのだ。

 

「あ、目の前で横柄な発言をするこの人、今は一人だけど、家ではすごくいい親の面があったらどうしよう」

 

 頼むから家でも横柄であってくれ、悪人であれ。

自分が接客をするタイプの店員を仕事にしているために、こんなどうでもいい祈りを、一週間に何度かしている。

私一人が祈ろうが、はたまた呪おうが、蝶のまたたきくらいの影響も起こらないわけだが。いいお客さんだった人が毒親であったり、腹の立つような声色の人がとても優しかったりなど、『客として良い・悪いものであるならば、人としてもそのままでいてほしい』というエゴが、私にほんの少しの恐怖心を植え付ける。

 

 だって嫌なのだ。意気投合し、笑顔で見送った客が、SNSで芸能人の誹謗中傷を打ち込むことで快感を得るような人だったら。

 

 何もかもが表面を見るだけでわかるわけではないこと、それはもう十分理解している。けれど、一瞬でも私が心地よく笑顔で関わったいい印象の人が、そのままのいい人であってほしい。

 

私は今日も、あるかもわからない面に怖がっている。祈っている。